第二回:高度経済成長期の体験
多くのサラリーマン経験者は何らかの形で高度成長期の影響を受けているものと思う。
高度経成長期と言われる55年から74年当時に社会人でなかった人も、この時期を過ごしてきた先輩たちと一緒に仕事をする機会もあったであろうし、この時期に生まれた産業が今の日本の企業の多くを形つくっているのではないか?
では、この時期にもたらされた文化、風習は、この当時のサラリーマンに何を与えたか?
何を与えなかったか?
調べてみたところによると・・・
「高度経済成長時代とは、戦後生産力水準が戦前最高時の水準を回復した1955年から、74年に国内総生産がマイナスに転じるまでの、約20年間をさす。資本主義世界全体も飛躍的発展を経験したが、日本の経済成長率は年平均10%の驚異的なものであった。
それは、おおむね2期に分けられる。55年「神武景気」から「岩戸景気」を経て東京オリンピック後の65年不況にいたる前期と、66年「いざなぎ景気」以降再び回復して68年には西ドイツを抜いてGNP西側第二位となったが、73年秋の石油ショックで世界経済全体がゆきづまり、日本も「安定成長」への軌道修正を余儀なくされるまでの後期である。
しかしこの時代のインパクトは、経済発展そのものよりも、その国民生活に及ぼした変化にある。「高度成長の光と陰」と社会変動の評価こそ、日本史研究の本質的問題である。
確かに生活は豊かになった。着物・もんぺ・軍服からスーツ・ネクタイ・スカートへ、ちゃぶ台でご飯と味噌汁からテーブルでのパン・牛乳・インスタント食品へ、木造住宅・長屋から団地・マンションへと、衣食住が変わった。1960年頃の「3種の神器=テレビ、洗濯機、冷蔵庫」から70年代「3C=カラーテレビ、クーラー、マイカー」へと、耐久消費財は充実した。茶の間がリビングに変身し、神棚にかわってテレビが「マイホーム」の中心になった。まだファミリーレストランやコンビニエンスストアは広がっていなかったが、都市近郊の団地に住みスーパーマーケットで買い物というライフスタイルが定着した。いわゆる新中間層が増大しサラリーマンの時代となる。「中流意識」「私生活主義」の誕生である。
それは、高度経済成長期の「民族大移動」の産物であった。1960-75年の15年間で東京・大阪・名古屋の三大都市圏に1533万人が流入した。農業と農村が変貌して、50年に300万戸あった専業農家は70年85万戸に激減した。集団就職や出稼ぎで、過疎の農村には「3ちゃん農業」が残った。農村にも地域開発で工場を誘致し、コマーシャルを通じて都市型消費に組み込まれた。サラリーマン化した労働者は「春闘」賃上げを励みに満員電車で長時間通勤し働いた。いわゆる企業社会・日本的経営の原型は、60年代に輪郭ができていた。」となっている。
引用:『別冊 歴史読本 日本史研究最前線』所収(新人物往来社、2000年5月所収)
「高度経済成長はなにを変えたか?」 加藤 哲郎(一橋大学)
さて、本稿で言いたいことは、この時期、また、次稿でのるバブルと言う時期を経験した日本の社会は、今、大きく変貌して、当時の価値観の多くが変わってしまっていると言うこと。
今、この時代に起業するものは、高度経済成長やバブルと言う時代をもう一度期待することはまったく考えられない。
しかしながら、この時期を生き抜いてきた人達が今でも消費の牽引車として存在し、この人達の価値観を無視しては今の消費構造は語れないと言うことも忘れてはいけない。
このことは、「この高度成長期に20代、30代のサラリーマンとして会社を大きく成長させた人たちの実績と自信は大きいが、企業経営者としては、それだけでは通用しておらず、更なる時代の転換にきちんと対応が出来た人のみが生き残っている。」と言うことと、「それでもその人たちは、一般消費者としては大きな影響力を持っている」と言うことの二つのことを意味している。
要するに、それほどに「高度経済成長期」というものが現在の日本に大きなインパクトを与えたと言うことである。
これから起業する人はこの高度経済成長期のことを今一度勉強し、自分なりの価値観と照らし合わせて、この時代に生きてきた人達を客観的に捉えることを忘れてはならないのである。
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