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2013年3月10日 (日)

東日本大震災から2年

明日で2年になりますね?

あの日、私は藤沢の北部に車で外出しており、ちょうどその時間は御園の坂と言われるあたりを走行中でした。

電信柱が左右にしなり、電線が波打ち、幼稚園のお迎えバスを待っているお母さんたちが地面にへたり込むようにしていた光景が目に焼き付いています。

その直後、会社に電話をしてもかかりません。

妻の携帯電話に電話してもかかりませんでした。

仕方なく、会社に戻るまで会社の無事は確認することをあきらめ数分間運転を続行。

会社に着くとたまたま会社に来ていた娘がいて、家族全員の無事が確認できました。

多くの家族が連絡を取れず不安な時を過ごし、帰宅できなかった人もいる中で我が家はラッキーな方だったと言えると思います。

その後、父母などの安否を確認するために電話連絡していきましたが、昨年亡くなった父は相模原の病院に出向いていて帰宅ができず、迎えに行くことも考えましたが、結局、相模大野のビジネスホテルを何とか無理やり頼み込んで泊めてもらうということで安心することができました。

そんな時、同時に心配だったのは津波です。

16時ごろに仙台空港の光景がネットのニュースなどで流れました。

「えらいことになった・・・・」
「このあたりも押し寄せてくるかも・・・・」と不安になりました。

海から3㎞の自宅はマンションの5階、会社は海から4㎞ですが海抜は低く、昔から川の氾濫で水浸しになりやすかった地域です。

どちらのいるべきかの選択を迫られ、結果、海方向に向かう選択をして自宅に帰りました。

江の島を見下ろす定点カメラの画像を見ると潮が引いていていつ大きな津波が押し寄せてくるのか不気味な状況です。

19時ごろまでは大津波警報が出たままだった記憶しています。

結果的には1~2m程度の波が川を遡ったようで、プレジャーボートが腹を上に向けて流れ着いていました。それ以上の大きな被害はありませんでしたが・・・。

自宅の家族との時間がある程度落ち着いてきたころ、テレビの報道が東北の惨さを報じ始めました。

多くの方々が被災し、涙している姿が繰り返し報道され被災者は数百人という報道がされていたと記憶します。

数日後には数千人に膨れ上がったように思います。

その後、多くの方が被災地に向かって救援の活動を行ったりボランティアを申し出たり・・・・そして秩序正しく対応している日本人に対し、海外メディアは多くの賞賛をくれました。

米軍はじめ多くの海外の援助も日本に向かい救助、救援が始まりました。

その一方で、被害の大きさが具体的に明確になるにつれ、日本全国が日常生活を失い、茫然自失の日々を送ることになったのも事実です。

あれから二年、思うことはいとそれぞれでしょうけれど大きな転換点になった自然の驚異に対して今一度真剣に考える日が来たといっていいでしょう。

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